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英国園芸&珈琲日記

見出された時

バスを待っていたら女性がやってきて「このバス停は使用中止よ。向こうのバス停に移動して」

という。

よく見たら確かにバス停の上に「使用中止」と書いてある。よくあることだ。

 

その女性ともども一つ後ろのバス停に向かって移動していると、バスが到着。が、真ん中のレーンにとどまったままでドアを開けず、乗ろうとしている人を全拒否。

 

ははあ、これは運転手がシステム変更を理解してないやつか。よくあることだ。

スーパーダッシュで元のバス停へ向かうとやはりバスは停止して乗客受付中。ぎりぎりで間に合った・・。しかしもともとこのバス停で待っていた人たちでこのバスに乗れたのは自分だけであった。

 

そんな自分は、駅に着いたら寸差でいつもの電車を逃した・・。

あともうちょっとだけダッシュしていたら間に合ったのだがなあ。しかしこの国では基本公共の場で走るのはよろしくないとされています。危ないから。あと泥棒かテロかと思われる。

 

先日の検査の際からプルーストの「見出された時」を読み始めた。

 

えーと、一応数年前に「失われた時を求めて」全巻読破に成功・・したはずだったのだが、最終巻であるこの本で、

 

あれ・・? あの有名な「石畳に躓いた時、私は・・」どこー?? 

 

よくよく見たらこの最終巻は2冊あって、最後の1冊しか読んでいなかったのだった。

そういえばシャルリュス氏の最後も出てきてないし・・

「大公夫人の午後のパーティー」のくだりが圧巻だったためそれに気を取られていろいろ忘れていた。何しろ長いので何の話だったかよくわからなくなるのが難点。

 

さすがに英語やフランス語では読めないのでww鈴木道彦先生の訳である集英社文庫を使用していたのですが、日本に帰国した時に買って持ってきたもので、しばらく帰国の予定もなく、電子版で1冊だけ買うとそろわなくなってしまうからどうしよう・・と思いやむを得ず放置していたが、

どうしても紙でないと買えない本があり、それと一緒に買って送ってもらうことにしてようやく今年完結したww

 

「スワン家のほうへ」を初めて読んだのが中学1年の時ですので、それから何年たったことか・・まさに「失われた時を求めて」だ。そして自分がプルーストより長生きしているというのも衝撃ですね。

「スワン」と「花咲く乙女たちの影に」だけは数回読んだのだがそこから先にどうしても進めず。

 

読者数が少なく、私が日本に居たときは文庫も出ていなかったので高くて自分では購入できなかったことと、まあ物語的に一番面白いのは「スワン」だし、映画にもなったくらいだけど、全体的に目から鱗が落ちるくらい面白いところと、ページを破りたくなるくらい興味ない(特に政治談議ww)ところが混在しており、根気が必要。

 

その、自分がプルーストよりも長生きしているからこそ、「大公夫人の午後のパーティー」のインパクトがやはり今回もすごかった。

 

仮面パーティーに出ているのかと思ったら周りがみな老人になっていたという・・

そしてもちろんそういう自分も老人ではないが、もう全くもって若くはなく、長い年月を無為に(病気のせいと、書きたいテーマが見つからず才能のなさを疑ったことによって)過ごしてしまったことに気づく。しかし・・ という流れ。

 

長いので何を読んでいたか忘れるということはありますがww、作者本人は最初から周到に時間操作を仕掛けていることがなかなかわからないようになっている。そもそもタイトルが「時間」を含んでいるわけでそれが最大のヒントにもなっているわけです。

 

そしてプルースト以前には「感覚と記憶」を結び付けたり、このような時間操作(時間が前に進んだり元に戻ったりする)を小説内で意図的に行う人はなかった。

特に感覚の表現はやっぱり素晴らしく、コンブレーは永遠のものとなり現実のほうが名前を変えちゃいました(イリエ=コンブレー)ww 行ってみたいな。

 

そしてこの最終巻をタイトルにした映画も21世紀になって作られたそうなんですが、「マルセル」が回想する「過去」としている点で失格です。

この大作の主人公「私」には名前がありません。ついマルセル・プルースト本人と重ねてしまいそうになりますが、プルーストは過去を振り返る回想を書いたわけではないのはもちろんのこと、この小説自体が「回想-過去から現在へと一方的に流れる時間」ではないのです。

私のお気に入りのwwシャルリュス氏がマルコヴィッチというのもなあ・・。じゃあ誰? というと・・実はジョニーデップがいいんじゃないか。

ヴィスコンティは「スワン」を映画化するつもりで脚本も書いていたのですが、残念ながら亡くなってしまいました。観たかった。プルーストを映画にできるのはヴィスコンティしかいないわ。

 

とか書いていたらまた頭から読みたくなってきましたが、実は今日本語で手元にあるのは後半の半分しかないので・・ 来年こそは帰省して残りを日本から持ってくるかな。それまでは鈴木道彦先生の抄訳版を読もう。これだけでも分厚い2巻になる。

 

さすがにプルーストを読むのは無理すぎるけれど、簡単な本が読めるくらいのフランス語の勉強でもしてみようかな。というか本当はできないといけないのです(大学でやったww)今や3歳よりひどいレベル・・今はアプリとかもあるし。バルトとか英語で読むとよくわからないし・・ってそれは自分の読解の問題か。

 

20世紀中盤くらいまでの長い小説で読んでないのは「戦争と平和」くらいかな。

トルストイは真面目すぎるからなあ。ドストエフスキーは基本推理小説で筋自体が面白い上に、それ以上に訴えるものがあり、犯人がわかっていても何度読んでも飽きたりしないが・・どうもあんまり気が進まない。「復活」も「アンナ・カレーニナ」も理想主義的すぎて読んでいると気持ちが覚めてしまう。映画で済ませるか(おい)