倒れたタリアを切って室内に活けた。
神々しいくらい美しい。捨てるなんて・・おみそれしました。
が、私の苦手なジャスミンと同じく、くさい 爆 香りの成分にインドールが入っているため、ありていにいって糞の匂いになる。
やっぱり無理かなタリア・・ どうするかな。作出した人は鼻が詰まっていたのかしら・・
さてこれから園芸本をいくつか読んでいくことにしますよ。
第1回目は園芸本の古典中の古典、子供の時に読んだきりだったこの本を再読してみた。そこはかとなく英国風味だった記憶がある。もちろん日本語の翻訳も訳者を変えて今もいくつか出ています。
しかしなんと! 買うことありませんよ奥さん。
インターネットアーカイブに登録すればだれでも無料で2週間で読めます。いい世の中になったものだのう・・
さてこの本は、チェコ人の作家カレル・チャペックが自分の園芸経験をもとに12か月のガーデナーの実態と、その月毎のトピックスについて大変ユーモラスに書いたエッセイ。
もうね、笑いが止まらない。特に英国での園芸生活を経た後だと、ほぼ100年前の内容が今でもガーデナーあるある、ほとんど変わっていないことには驚いてしまう。
1月のガーデナーはいつになったら春になるのだと思い、天気はいつだって満足だったためしがなく、暑すぎたり寒すぎたり、雨が多すぎたり少なすぎたり。
2月には、必死で春の兆しを探す。ガーデナーにとっての春のしるしは山のように送られてくるナーサリーからのカタログ。
ナーサリーのスペシャリストは「こちら栽培は簡単なんですよ」というのだが、決してそんなことはない。これもガーデナーズワールド見ていると、みんなそう言うんだよね~本当に。バラの栽培は難しくない云々。
3月になると昨年植えた球根や植物を忘れて、その上に山のように届いた注文品を植えてしまう。もう本当に本当に場所がない(←自分)・・ といった具合。
もしガーデナーが生物進化を選べるのなら、無脊椎動物になるのがいいんじゃないか。いつもしゃがんでいて半分の高さしかないし、手や足も地面を掘るために水かきみたいになっていればよろしい。ついつい植え込んだ植物を忘れて自分で踏んづけてしまうので、背中に翼があればなおよい。
そして山のようにある植物。マニアは育て方、水やりの仕方ひとつとっても意見が一致することがなくケンカになる。カタログを見ればこれぞ絶対に手に入れるべき逸品が毎回必ずあり、注文してしまう。
いろいろな植物はあれど、最終的に園芸家がいきつくのは土。馬糞がお宝に見え、蒸気を上げている馬糞を目をほそめて眺める。土は硬すぎても柔らかすぎてもダメ、良いとされるあらゆるものを混ぜ、手で触れて感触を喜ぶ。
だがどんなに頑張っても時間には勝てない。10年待たなければ見られない成長もある。ガーデナーが育てられる植物にも限りがある。そして、どうやったらうまく育てられるのかは結局、自分で忍耐強く見つけるしかない。
とまあ私がまとめてしまうとちっとも面白くないが、爆 よく引用される有名な芝生のジョーク。
アメリカ人の金持ちが、英国流の芝生をなんとかして手に入れたいと思い、英国人の地主に尋ねた。
「お金はいくらでも出しますから、あなたの家のような素晴らしい芝生を作る秘訣を教えてください」
「なに、難しくはありません」
といって地主は細かいコツを語りだすのだが、さらにオチが・・
つづきは本文でお楽しみください 笑
チェコでの発行が1929年、英国で翻訳されたのが1931年。その後戦争を経てしばらく絶版になっていたのが再びアメリカで刊行され・・と裏表紙にある。
日本語版も原本と英訳を参照しているはずなので、そのへんが子供ごころにもイギリスっぽいと思った理由かもしれない。それから数十年、まさか自分が英国で芝刈りするとは思わなかった。
地名と、ごく一部の例外(秋の風物詩がサトウダイコンの収穫である。とか。イギリスでも収穫はできるが、東欧みたいにたくさんは作ってない)を除くと、ほとんど英国について語っているとしか思えない。
わかりやすくするためにイギリスにあるものに置き換えているのかもしれないが・・ それがアメリカで発行されたため、realize、とか、単位の違いがあってあれっ? と思ったり。
21世紀に読むと、この頃の園芸とは比較的生活にゆとりがある男性の楽しみであり、女性=奥さんに妨げられつつも庭を見てパイプ吸って満足する、という、古き良き時代であったな・・ という感じはあるが、これは仕方あるまい。
本でとりあげられる園芸種も、現在も栽培されているものばかりで、100年くらいではガーデニングの世界はそれほど変わっていない。大きく変わったのは環境への配慮、農薬をできるだけ使わないことだろうか。
それからカレルの兄であるヨゼフの挿絵が味があってよい。
カレル・チャペック自体は病気がちで、脊椎系の病気など、結構しんどかったのではないかと思うが、それを跳ね返すようなユーモアの持ち主で、劇作の名手で、そのせいかこの本も読者に語りかけるようで生き生きとしている。
そしてこの明るい本の影には忍び寄る戦争があり、カレルは兄ともども反戦活動をしていた。幸か不幸か、ゲシュタポがチェコに入る直前に亡くなり、逮捕を免れた。兄ヨゼフは強制収容所で拷問を受けて亡くなっている。
21世紀も植物や天気に一喜一憂できる日々が続くことを祈る。