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英国園芸&珈琲日記

天路の旅人-冬の読書 その2

私、子供時代になりたかったのは探検家でした。その心は今も変わらず・・いつも何か未知のものを追っていないと、精神的に疲弊してしまうのです。どこか知らないところに行きたい。そんな気持ちがまた強くなってきて、冒険・サバイバル系を読んでいました。

 

シルクロードの通るあたり、モンゴル、チベットのエリア

ここ英国からだとそう簡単に行けそうにはありませんが、チベットにある仏典を日本に広めたい、その一心で、チベット人に化け、インドから歩いて富士山より高い雪山を抜けてチベットに潜入、10年滞在ののち、日本に帰ってきたのが川口慧海

 

その旅行記(実際に読んだのはコロナの前です)

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一体全体、こんなことが可能なのかと仰天したものです。同じアジア系とはいえ、外国人に化けるとは・・?

雪山越えがあまりにつらいので、一緒に歩いている羊を抱えて、暖を取りながら歩いて行った、とか、少し心得があったのでチベットでは医師として、王室関連の人などを診察していた、とか。正体がばれたら即死罪となる状況です。

 

この旅行記をもとに久生十蘭らしい皮肉さで短編にしたのがこちら

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・・・人間の信念のものすごさですが、本当にこんなことができるのか、半信半疑でもありました。だってパタゴニアとかモンベルとかないんだよ? ハイテク装備があっても何年にもわたって3000メートル超の雪山を越えたり砂漠を渡ったりなんてできますか? しかも食べるものも、小麦粉と水が基本です。ほぼ裸足も同然だし。

 

本人の手記であることもあり、盛っているところもあるんじゃないかとも思ったり。しかも、川口慧海、日本に戻ってきてその仏典の研究をするのですが、戦後はなんと還俗して僧侶であることをやめてしまうのです。それも大変な謎でした。

 

その謎がいつまでも心に残っていた時

沢木耕太郎「天路の旅人」

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第2次世界大戦が終わるまでに、モンゴル・チベットに潜入した日本人はほかにも複数いて、そのうちの一人が西川一三。モンゴル・チベットからインド・ネパールまで足を延ばしていて、本当はタイまで行ってみるつもりだったが、正体がばれ、日本に送り返された。カバーしたエリアでいうと彼が最大となるらしい。

 

これだけの旅をしながらも、戦後日本に帰ってきて、その時の手記は一時話題になるも、基本的にほぼ無名の人としてひっそりと暮らしていた。

 

それはなぜなのか・・ インタビューの達人、沢木耕太郎は1年間にわたって本人に話を聞くも、何かが像を結ぶことがなく、そのままお蔵入りしているうちに、本人が亡くなってしまった。しかし僥倖によってほぼオリジナルの原稿が見つかり、それをもとに、コロナで閉鎖された世界の中、グーグルを駆使しながら当時の旅程を追う。

 

川口慧海以上に過酷な旅。ここでもやはり、モンゴル人(蒙古人)僧侶として、旅を続ける。それが可能だったのは、密偵として未知の場所とされていた蒙古・チベットを探るためのトレーニングを受けていたことと、そしてもう一つもっと大事なこと・・ それはなにかは本を読んでほしい。

 

そして、日本に戻ってきてからは目立つことなく生きた、その経緯や理由も、沢木耕太郎としての結論が書かれているが、これはとても腑に落ちる、感動的なものだった。川口慧海が還俗したのももしかしたら同じ理由だったかもしれないとも思った。

 

原稿用紙にして1000枚以上ある大作でしたが一気に読み切ってしまいました。モンゴル、チベット・・・その景色、私もこの目で見てみたい。

 

人間の信念が本当に自分の内側から起こってくるものであれば、不可能と思われることも可能になることもある。

 

でもその信念が自分のものではなかったとしたら・・ これだけ不利・不自由な状況でも砂漠や雪山を行けた人がいるというのに、ついに「夢」を「達成」することがなかった彼

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この本は恐ろしくて読んでません。