2024年初回の記事がこのタイトル 汗
きっかけはまぬ犬どものごはんを作りはじめたことからはじまる。
チビの目が少しでも良くならないかなと思って始めた。
原則、犬と人が同じものを食べるようにする。中途半端に残ってしまったものを犬用の食事に使う。使い切れずに残っていた乾物やパスタなども、犬のごはんに使い切る。
と、やっていったところびっくりするくらい食物の廃棄率が下がった。
ついでに在庫管理や整理も行ったところ、何をいくつ持っているかが把握できておらず、無駄が多いことも発覚。
セールになっているから、オンラインショッピングの下限金額を埋めたいから、といった理由で、必要以上に買いすぎていた。しかもオンラインショッピングは当たり前だが便利な分価格が高い。
時間の節約にお金を払うという自覚をもつと同時に、逆に時間があれば、ごひいきのインドショップやALDIに行って買い物したほうが価格が下がる。
どれもこれも当たり前のことだけど、改めて、今は戦時下であり、当たり前と思ってきたことが当たり前ではないということに気づいてはじめて、行動がともなうようになってきた。そのただなかにいるときは、気づかないものというのは改めて「魔の山」の読書で体感した通り。
無駄をなくし、ごみを減らすというのは、ゲーム性があり結果が見えるのでやってみると非常に面白いものでもある。それで今年は、別のやり方で、再度コンポストに取り組むことにした。
在庫管理とか食材を使い切るとかは家庭のマネジメントの基本なのでこれでは仕事しているとは言えない・・反省した。
これが園芸活動にもつながっていく話になる。
もっといろんなバラや、植物を育ててみたいと思う反面、それはつまり、お金(そして場所)があれば、思いのままにいろんなものを手に入れられる、と考えているわけでもあって、本当にそれでいいのかな~という気持ちがどんどん大きくなっていって。
何が自分の庭に合うものなのか、試行錯誤も必要だけど、あれもこれもと、fashion victimならぬgardening victimみたいな自分の精神のありようにちょっと疲れた。もちろん園芸はきっと死ぬまで興味のつきないトピックのひとつではあると思うのですが、必要以上に対象を追いまわさないで、幸せになるにはどうしたらいいのかと考えてもいたのです。
年末は、読書と同時にBBC恒例のアガサ・クリスティーのドラマを数本、まとめて見ていたのですが、今見ると本当に残酷だなあ。
クリスティのドラマは基本どれも「私は愛されない・私の愛は報われない」という苦痛が源になっています。
それはもちろん本人にしかわからない苦しみなわけですが、皆さんスーパーリッチなんですよ。だからその日を生きるだけでも精一杯な人の苦しみは目に入らない。これが見ていて苦痛でした。今より圧倒的な階級差がある時代だから余計にそう思うのでしょうが・・。
でもこういう、誰かの犠牲の上に自分の安寧があるような状態にはいたくない。
いうほどたやすいことではないのもわかるけど、まずは毎日ごみを減らすところからやろうと・・なにしろ、何か減らせるものはない? と考えるのが面白いのが気に入った。ついでにコンポストができれば庭にもいいことがありますね。
何か減らせるものはない? と同時に、何か片付け・きれいにできるところはない? も考えることになる。そうしないと最終的にごみは減らない。
というわけで2024年の終わりには、見違えるようにすっきりした家に住んでいるはず。たぶん 笑
片付け・ダイエットなどはいずれも動機づけが非常に難しいものだけど、今回は自分の心から出てきた気持ちからの行動だから、うまくいくとかいかないとかの次元を超えたものになると思う。
いずれにしても楽しく、うまくいかないときは休憩しても良し、のんびりやっていきます。